手元のデータで「評価が高い宿」のランキング記事を書いた
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記事を書きたい。でも何を根拠に?
ホテル検索ツールを作ってから、ずっと頭の片隅にあったことがある。「せっかくなら、宿選びの参考になる記事も書きたい」ということだ。
ツールは検索する人のためのもので、記事は読む人のためのもの。両方あって初めて、このサイトに来た意味があるんじゃないかと思っていた。
ただ、いざ書こうとして手が止まった。「評価が高い宿」の記事なんて、世の中にいくらでもある。よそのまとめサイトを眺めて、それを言い換えて記事にする。……それをやって、何の意味があるのだろう。
受け売りでは書く意味がない
正直に言うと、一度は「よそで評判の宿を紹介する」形の下書きを頭の中で組み立てかけた。でも、書こうとするほど気持ちが乗らなかった。
だって、その情報は私のものではない。どこかの誰かが集めて、どこかの誰かが順位をつけたものを、私が横流しするだけ。読者からすれば「元のサイトを見ればいい」で終わってしまう。
借り物の情報で記事を書いても、そこに私が存在する理由がない。これが、手が止まった本当の原因だった。
気づいたら、手元にデータが貯まっていた
ところが、ふと気づいた。私のホテル検索ツールには、数万軒ぶんの宿のデータが貯まっている。口コミの件数、評価の点数。検索のために集めてきたデータだけれど、これは集計すれば「評価が高い宿」を自分の手で出せるということじゃないか。
誰かのまとめを引き写す必要なんてなかった。材料は最初から、自分の机の上にあったのだ。
これに気づいたときは、ちょっと興奮した。ツールを作って育ててきたことが、記事を書く力にそのままつながる。この感覚は、ツールを持っていなかったら味わえなかったと思う。
自分の集計から出た数字は、納得感が違う
さっそく手元のデータを集計して、評価の高い順に並べてみた。集計の細かい処理は、AIに聞きながら整えていった。
出てきた順位を眺めて感じたのは、「この数字がどこから来たか、私は説明できる」という安心感だった。元データは自分のツールにあるし、どう集計したかも自分で決めた。誰かの受け売りではなく、根拠ごと手の中にある。
書いていて、これほど納得感のある記事は初めてだった。よそのまとめを言い換えるときの、あの後ろめたさが一切ない。データを持っている人だけが書ける記事というのは、こういうものかと実感した。
一部を記事に、全部はツールで
記事には、集計結果の代表的なところだけを載せることにした。理由はシンプルで、順位表を延々と並べても読み物としては退屈だし、細かく調べたい人にはツールで検索してもらったほうが便利だからだ。
記事は入口、ツールは本体。記事で「こういうデータがありますよ」と紹介して、興味を持った人はツールで自分の条件に合わせて探せる。この役割分担は、ツールと記事の両方を持っているサイトならではの形だと思う。
書き終えてみて、記事とツールが初めて手をつないだような感覚があった。
借り物の情報との決別
今回いちばんの収穫は、順位そのものよりも「自分のデータから書く」という書き方を覚えたことだ。
よそから借りてきた情報は、どこまでいっても借り物だ。でも、自分のツールに貯まったデータから出した数字なら、胸を張って「私の記事です」と言える。
これからも、ツールに貯まったデータを掘り起こして記事にしていきたい。書くネタは外に探しに行くものだと思い込んでいたけれど、案外、足元に埋まっているのかもしれない。
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